佐藤太清年譜    安田晴美 編

1913 (T2)

 11月10日、京都府福知山市字岡ノ上に生まれる。

   

天田郡役所に勤務していた父・佐藤平馬、母・まさの四男。本名實(みのる)。

    出生直後に、両親が病没したため、梶原家にて養育される。

1927

(T2)

福知山惇明尋常高等小学校卒業。
1931 (S6) 福知山実践商業学校を卒業。
1932 (S7) 上京。太平洋研究所などでの活動を通じ、日本画で身を立てようと決意する。
1933 (S8) 児玉希望塾に内弟子(1936年迄)として入門。当時の門下生には、奥田元宋等がいた。
    雅号を「太清」とする。
1939 (S14) 9月召集。京都伏見陸軍第16師団に入隊するが、10月急性大腸疚胸膜疚により京都陸軍病院に入院。
    12月に京都赤十字病院に転送。
1940 (S15) 第1回錬社展覧会に召集前に制作した≪雪後≫出品。
    5月高野川陸軍病院に転送。6月自己退院し、召集解除となる。
1941 (S16) 河野ひろと結婚。牛込白銀町(東京都新宿区)に新居を構える。
1942 (S17) 長女・雅子誕生。
1943 (S18) 第6回新文展にて≪かすみ網≫が初入選。
1945 (S20) 大谷口(東京都板橋区)に転居。第1回現代美術展覧会(朝日新聞社主催)に≪迎春≫招待出品
1946 (S21) 長男・太康誕生。
    第2回日展に≪篁≫出品
1947 (S22) 第3回日展に≪清韻≫出品。特選受賞。
1948 (S23) 第4回日展に≪幽韻≫無鑑査出品。
1949 (S24) 第5回日展に≪竹林≫出品。
1950 (S25) 第6回日展に≪朝顔≫出品。
    第1回日月社展に≪玄冬≫出品。
1951 (S26) 第7回日展に≪竹窗細雨≫出品。
1952 (S27) 第8回日展に≪睡蓮≫≪罌粟≫出品。前者は特選、朝倉賞を受賞。
    第3回日月社展に≪雨の日≫出品、奨励賞受賞。
1953 (S28) 第9回日展に≪初秋≫委嘱出品。
1954 (S29) 第10回日展に≪ダリヤ≫出品。
1955 (S30) 武蔵野美術大学参与となる。
    第11回日展に≪冬池≫出品。
1956 (S31) 第12回日展に≪樹≫出品。
1957 (S32) 第13回日展に≪鯉≫出品。
1958 (S33) 「尾山幟・佐藤太清二人展」を東洋美術館画廊(東京都銀座)で開催。
    第1回新日展に≪立葵≫を出品。
1959 (S34) 第2回新日展の審査員をつとめ≪寂≫出品、東京都美術館買上。
1960 (S35) 新日展会員となる。
    第3回新日展に≪石楠花≫出品。
1961 (S36) 第4回新日展に≪孔雀≫出品。
1962 (S37) 第5回新日展の審査員をつとめ≪冬日≫出品。
1963 (S38) 第6回新日展に≪水芭蕉≫出品。
1964 (S39) 第7回新日展に≪花≫出品。
1965 (S40) 日展評議員に就任。
    第8回新日展の審査員をつとめ≪潮騒≫出品。
1966 (S41)  第9回新日展に≪風騒≫出品、文部大臣賞受賞。
    第1回日春展の審査員となり≪尾瀬≫出品。
    恩賜上野公園(東京都・台東区)弁天堂の格天井絵に≪朝顔≫、杉戸絵に≪桜≫を制作。
1967 (S42) 前年に出品した≪風騒≫で、日本芸術院賞受賞。
    第10回新日展に≪燄≫出品。
1968 (S43) 第11回新日展の審査員をつとめ≪洪≫出品。
    外務省の委嘱により国連本部(米国:ニューヨーク)に納める≪白鷺≫を制作。
1969 (S44) 第1回改組日展に≪暎≫出品
1970 (S45) 日春展運営委員となり第5回展の審査をつとめる。
    第2回日展(改組日展、以下同)に≪緑雨≫出品、文化庁買上。
1971 (S46) 日展理事に就任。第3回日展の審査員をつとめ、≪無≫出品。
1972 (S47) 外務省の委嘱により在中国日本国大使館(中国・北京)に≪孔雀≫(昭和36年日展出品)を納める。
    第4回日展に≪夢殿≫出品。
    社団法人日本美術家連盟委員に就任
    (昭和48年まで、また同51~52年、同55~56年、同59~60年を歴任)。
1973 (S48) 第5回日展の審査員をつとめ≪清韻≫出品。
    第8回日春展の審査員をつとめ≪水辺≫出品。
    東京都美術館後援会理事に就任。
1974 (S49) 第6回日展に≪昏≫出品
1975 (S50) 日展監事に就任。第7回日展に≪東大寺暮雪≫出品。
    日本美術家連盟委員に就任。
1976 (S51) 第8回日展に≪磨崖仏(弥勒)≫出品。
    「日本の四季展」(読売新聞社主催)に≪抄春≫≪篁≫≪佳日≫≪漾≫出品。
1977 (S52) 日展理事に就任。第9回日展の審査員をつとめ、≪蓮≫出品。
    第12回日春展の審査員をつとめ≪パンジー≫出品。外務省買上。
1978 (S53) 第10回日展の審査員をつとめ≪朝霧≫出品。
    日中条約締結に際し外務省の委嘱により≪花≫(第13回日春展出品)買上。
    華国鋒主席に贈呈される。
    東京国立美術展覧会会場建設委員に就任。
    日本美術家連盟委員に就任。
1979 (S54) 現代日本絵画展開催に際し文化使節として中国訪問。
    第11回日展に≪雨の天壇≫出品。
    外務省の委嘱によりリオデジャネイロ近代美術館に納める≪牡丹≫を制作。
1980 (S55) 昭和55年度日本芸術院会員となる。
    第12回日展に≪旅の朝≫出品。
1981 (S56) 日展常務理事に就任。
    渡欧。フランス、イタリア、バチカン等を訪れる。
    第13回日展の審査員をつとめ≪旅の夕暮≫出品。
1982 (S57) メキシコ マヤ遺跡を訪れる。
    第14回日展に≪草原の旅(マヤの遺跡を訪ねて)≫出品。
    「日中友好10周年記念中国を描く現代日本画展」(読売新聞社主催)に≪雲崗石仏≫等、5点出品。
    板橋区の委嘱により、板橋区立文化会館緞帳≪晨光≫制作。
1983 (S58) 日展事務局長に就任。
    第15回日展の第1科(日本画)審査主任をつとめ、≪最果の旅≫出品。
    「大山忠作、加倉井和夫、加藤東一、佐藤太清四人展」を相模屋美術店(東京都銀座)にて開催。
1984 (S59) 「佐藤太清展」(読売新聞社主催)を松屋銀座、大阪大丸にて開催。新作8点を含む 60点を出品。
    第16回日展に≪釧路湿原冬の旅≫出品。
    「現代日本画名画家展」中国美術館(中国・北京)にて開催。≪燄≫≪蓮≫≪雲崗石仏≫出品。
1985 (S60) 勲三等瑞宝章を受章。
    日展理事長に就任。
    第17回日展に≪旅鳥≫出品。
    最高裁判所(東京都・千代田区)に≪富貴花≫を納める。
1986 (S61) 第18回日展に≪旅愁≫出品。
    総理官邸に≪富貴花≫を納める。
1987 (S62) 第19回日展に≪旅立ち≫出品。
   

「現代作家デッサン・シリーズⅠ 佐藤太清展」(朝日新聞社主催)を松屋銀座(東京都銀座)にて開催。

1988 (S63) 文化功労者に列せられる。
    日中文化交流協会常任理事に就任。
    第20回日展に≪旅途≫出品。
1989 (H1) 第21回日展に≪旅雁≫出品。
1990 (H2) 第22回日展に≪丹頂の旅≫出品。
1991 (H3) 第23回日展に≪雨あがり≫出品。
1992 (H4) 文化勲章を受章。
    第24回日展に≪行雲帰鳥≫出品
    式年遷宮記念神宮美術館(平成5年開館)創設に際し≪冨貴花≫を神宮(三重県・伊勢市)に献納する。
1993 (H5) 皇太子殿下御成婚に際し、≪瑞鶴≫を宮内庁に納める。
    福知山市名誉市民となる
    福知山市美術館にて、「文化勲章記念 佐藤太清展」開催。
    第25回日展に≪佐田岬行≫出品。
1994 (H6) 第26回日展に≪雪つばき≫出品。
    板橋区立美術館にて「文化勲章受賞記念展 佐藤太清 瞬間の生命と永久の時」開催。
    代表作36点を出品。
1995 (H7) 式年遷宮記念神宮美術館特別展「日本の心に薫る桜と菊」に≪喜久≫を出品し、
    神宮(三重県・伊勢市)に献納する。
    腹部大動脈瘤の手術を受ける。
1996 (H8) 若い世代への美術奨励のために板橋区に「佐藤青少年美術奨励基金」が創設される。
2000 (H12) 福知山市美術館開館十周年記念特別展「終わりのない旅 佐藤太清展」開催。
    代表作17点と素描を出品。
2002 (H14) 「第1回福知山市佐藤太清賞公募美術展」(全国公募 福知山市主催)が開催され、京都、東京、
     神奈川を巡回。(以降、毎年開催)
    「佐藤太清記念中学生絵画展」(全国公募 板橋区主催)が開催される。(以降、毎年開催)
2004 (H16) 逝去。
    従三位に叙せられる。
    平成16年度区民文化栄誉賞(板橋区文化振興財団)、区政功労表彰(板橋区)が贈られる。